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ワタシの一行

第6回 新潮文庫 編集部が選ぶワタシの一行アワード ワタシの一行アワード×ソロモンの偽証 受賞一行決定!

※写真はサンプルです。

2015年3月1日~2015年6月30日の期間中に投稿された『ソロモンの偽証』の「一行」を対象に、厳正な審査によって受賞作を決定しました。
大賞受賞者には、「オリジナル図書カード1万円分+映画オリジナルグッズ」、優秀賞5名には「オリジナル図書カード3,000円分+映画オリジナルグッズ」、佳作(映画「ソロモンの偽証」賞)受賞者には「キャスト&監督のサイン入り劇場用パンフレット(前後篇2冊)」をそれぞれプレゼントいたします。

大賞

「松子は、あたしのたった一人の友達だったんです」第Ⅲ部 法廷 下巻P370

【この一行を選んだ理由】

容姿コンプレックスに自意識過剰、家族を客観視できるくらいには頭がよくて、けれど誤ったやり方を選ぶ愚かさに、友人を巻き込む傲慢。本当に面倒くさい。これほどに多数の登場人物が、誰も皆「生きて」いる本書の中で、一番関わりになりたくないタイプ。そして一番身近に感じたキャラだった。彼女の行動にいちいち苛立って、早くバレて糾弾されてしまえと思いつつ、「じゃあ、どうすれば良かったの? どうすれば、あの日常から救われたの?」それが分からない。読者という高みにあっても、彼女の何倍も生きてきても。自分の嘘に正対して、彼女はこれからの人生をずっと、松子を失った悲しみと生きる。それはどんなにか辛くて寂しくて、けれど、辛いと、寂しいと感じる自分を誤魔化さなくていい。――彼女はきっとこの後も、付き合い難くて面倒くさいヤツだろう。けれど友達になってみたい。あの夏休みを越えた彼女となら。あの夏の、素晴らしき法廷の仲間達と。

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【投稿者】藤原あき子 宮城県

【授賞理由】

同級生の死をきっかけに、傷つき、大人への不信を募らせ、やがて真相を求めて「学校内裁判」に立ち上がる中学生たちの群像劇『ソロモンの偽証』。文庫6冊に亘るこの長大な作品から大賞受賞一行に選ばれたのは、物語の展開に重要な役割を果たす「三宅樹里」の言葉でした。藤原さんのコメントにもあるように、容姿にコンプレックスを持ち、イジメに対する復讐に燃える樹里は、常に周囲に毒をまき散らし、偽りの告発を平気で行う、相当に「嫌な奴」です。そんな彼女が、ただ一人の親友・松子の突然の死にふと漏らしたこの一言を通して、藤原さんは、ヒール(悪役)の仮面の内側で、惑い苦しむ生身の樹里に寄り添います。そして、そっと肩を抱きしめます。宮部みゆきの作品、とりわけ『ソモロンの偽証』では、登場人物がほんの端役に至るまでくっきりと造型されていますが、藤原さんは一行&コメントを通じて、「三宅樹里」という少女に、より豊かな陰影と可能性を加えてくださいました。大賞受賞、おめでとうございます!

優秀賞

誰々がそう思ってるとか、推測してるとか、そのように思うのが妥当だとか、それは〝事実〟じゃないだろ?おまえは〝知ってる〟んじゃない。〝そう思ってる〟だけだ。第Ⅱ部 決意 上巻P221

【この一行を選んだ理由】

この一行を初めて読んだときドキッとしたことを覚えています。自分に対して言っている気がして、そして見透かされているようで、後ろめたい気持ちになりました。私はいつも直接本人に聞いたわけではない根も葉もない噂に流されては他人を軽蔑してきました。勝手に自分の中でレッテルを貼り、都合の良いように片付けてきました。しかし吾郎のこの言葉、宮部みゆきさんのこの一行があったからこそこの事に気付かされました。深く考えさせられました。この一行は、変わりたい!と思うきっかけをくれた、私の中で生涯心に灯り続けるでだろう言葉です。誰にも左右されず、自分に正直に生きていけるような真っ直ぐで、心の綺麗なそんな大人になりたいです。この言葉を胸に抱えて。

【投稿者】中川里桜さん 福岡県

それで負けるんなら、いいんじゃねえの。こっちが負けることで真実にたどりつくってのも、アリでしょ第Ⅱ部 決意 上巻P223

【この一行を選んだ理由】

学校内裁判の準備をしている最中に、仲間が言ったセリフ。裁判となるとどうしても勝敗を気にしてしまうが、本来事件の裁判は真実をはっきりさせる為のものだと気付かされた。大人になるまで気付かなかった事だが、中学生の年齢でそのセリフが言えるのがすごい。・・・いや、逆に中学生の年齢だからこそ言えるのかも。勝敗を気にし過ぎる大人になってしまったという事か。

【投稿者】内山裕美子さん 山口県

――対岸を見てきたような目をしてる。第Ⅱ部 決意 上巻P213

【この一行を選んだ理由】

「そのひとの目を見れば、どんな人なのかがわかる」一昔前までは、そんなことを会社の先輩から言われました。営業という仕事は、(今でも一部はそうですが)人と会って交渉をする仕事です。ネット社会になった昨今、メールやライン、SNSで人と会わずにコミュニケーションを図ることが多くなりました。必然的に人の目を見るということも少なくなったと思います。純粋な気持ちで人の目を見たら、この人が私より幅の広い経験をしてきたのか、それとも狭いのか瞬時に感じられたものです。この「対岸を見てきた」という表現にぴったりの商談相手も多々お会いすることがありました。そういう時、論破するとか、話し合うとかが吹っ飛ぶくらいの説得力を感じることがあります。この1行を読んだ瞬間、それらのことが走馬灯のように頭に浮かびました。「対岸を見てきたような目をしてる」。いいフレーズを頂きました。

【投稿者】仲井量一さん 東京都

泣きながら逃げるように出てゆくもう一人のわたしの子を、ただ呆然と見送るだけ。いつの間にか、船はこんなにも遠く、あの子の岸から離れていた。第Ⅰ部 事件 上巻P271

【この一行を選んだ理由】

親と子の距離がいつのまにかこんなにも遠くなっていて、いつか自分もこうなるんじゃないかと思った。

【投稿者】内田さくらさん 兵庫県

ありとあらゆる物差しで、生徒たちは互いを計り、
計られる。第Ⅰ部 事件 上巻P506

【この一行を選んだ理由】

これは人が生きていく上で、誰もが必ず経験すること。自分とどこか似たものを持っている子とつき合い、相手も自分を選ぶ。そうやって、無意識のうちに大人になっていくのだと感じた。
この一行の数行後に、“そうでなければ、生きていかれない”という一行がある。まさにこれが現実なのだと改めて突き付けられた。「ソロモンの偽証」では、一番複雑な時期の中学生たちの複雑で言葉では表しきれない思いが、この一行に詰まっているのではないかと思った。

【投稿者】谷口直穂さん 和歌山県

佳作

  • 奥健治郎さん
    秋田県
  • 高橋昭子さん
    兵庫県
  • 中川聡さん
    福岡県
  • 小田香織さん
    大阪府
  • 望月菜南子さん
    東京都
  • 角川雅子さん
    茨城県
  • 石井奈津子さん
    神奈川県
  • 児玉憲宗さん
    広島県
  • 藤井謙昌さん
    東京都
  • 村岡明日香さん
    山形県

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