【この一行を選んだ理由】 「こころ」は先生の人生の一部を「私」が受け取る物語である。しかし、後半部を読み進めるうちに一人の人生を受け取ることは決して容易ならざるものだということに気づく。読者は、「私」が、遺書を読みながら先生の人生や身体の一部を引き受けるその過程を追体験していくのである。痛みと「先生」の人生を受け取ったという喜びを抱えながら。「先生」の遺書は、まさに「先生」の人生そのものであり、それを受け取る側は返り血を浴び、血潮を啜る覚悟がなければならないことを示している。そのため、本書前半部において、「先生」は「私」に「あなたはまじめですか」と問うたのである。私が選んだ一行はまさにこれらのことをよく表す一行だと考えている。
【授賞理由】 『こころ』は、高校の「現代文」の教科書の大半に採用されている名作中の名作です。けれど、「先生」の遺書を中心に展開する“暗い”物語や明治の古臭い倫理観がどうも……という“食わず嫌い”や途中挫折の読者も少なくないのでは? 遠藤直人さんはこの作品を〈「先生」の人生の一部を「私」が受け取る物語〉と見事に分析した上で、心臓のように「先生」の内奥で脈動していた「こころ」と、血潮を啜るほどの「私」の覚悟を端的に表す、生き生きとした一行を選んでくださいました。この一行&コメントを読めば、食わず嫌いの読者も思わず『こころ』に手が伸びそうです。大賞受賞、おめでとうございます!
【この一行を選んだ理由】 羊羹の偏愛ぶりをここまで執着した描写はなかなか出来ない。その表現力は秀逸で、瞼に鮮明に浮かび上がる程だが、一方、滑稽で身を捩る。しかも羊羹の描写はこの後も続くのである。まいった。
【この一行を選んだ理由】 留学中に読んだ一行。外国文学を専攻していた私は、ひたすらに専攻地域の文学だけを読んでいた時期があった。留学中も、日本で感じていた知識量の不足を補おうと必死になっていた。翻訳の文章に食傷気味になり、文章の理解の上でも実生活でもカルチャーショックに鬱々としていた頃、何気なく選んで持ってきた『それから』の最初の頁の情景描写に、文字通り吸い込まれた。夢現で見る落ちた椿の花の美しさが脳裏に浮かび、夜更けの少し湿った畳の匂いさえ感じられるようであった。ああ、私は日本人だ。外国文学を読むときにはなかった、自分の根源に働きかける美的感覚というものを体感した。
【この一行を選んだ理由】 夏目漱石の「こころ」は、私が小説を読むにあたって一番最初に手に取った本です。そして、私が今迄読んだ書物の中で一番心に染みた本でもありました。その中でこの一節を選んだ理由は、私が以前恋をしていたときも、まさにこんな心持を抱いていたからであります。焦りとも嫉妬とも寂しさとも言える何かが、私を縛っていたのです。そうしてこの一節を読んだとき、私はその何かが何であるのか、ゴロンと落ちるように納得しました。私にとってこれほど私を納得させた名文はありません。なので今回「ワタシの一行」にこの一節を記しました。
【この一行を選んだ理由】 何故生きる。この事を考えてしまった。生ある者は何か目的があって生きているのかもしれない。でもその目的を見つけられずにあがき苦しむ者もいる。そして希みを見つけることができその為に生きようとして頑張って頑張ってでもかなわぬ者もいる。でもせっかくもらった命だもの、カッコ悪くたっていい。一生懸命あがけばいい。生の先にあるもの それが穏やかな太平であるというのなら死ぬことも少しも怖くないのではないだろうか。ノロノロとまったり過ごすのも良し。目標に向かってつっぱしるのも良し。精一杯頑張って太平を得ようではないかと思った。死もまた良し!である。
【この一行を選んだ理由】
二十世紀は様々な事があった。二度の世界大戦は、人類最悪の歴史であるといえるだろう。そして二十一世紀を迎えた今、シリア内戦やイスラム国の建国といった争いが世界中で起こり、再び戦争の歴史が繰り返されようとしている。
私は『倫敦塔』を読んで、文化の発展する中で、失われてしまった物も沢山あるのではないかと思った。科学の発展により戦争の被害は拡大し人々の関わりは希薄になった。
私はこの一行から、今一度歴史をふり返るとともに発展していく文化が本当に我々人間のためのものか見極めていかなくてはならないのだと考えさせられた。私たちに、本当に重要なことを伝えている一行だと思う。
2014年11月1日~2015年1月31日の期間中に投稿された『夏目漱石』全作品の「一行」を対象に、厳正な審査によって受賞作を決定しました。
大賞受賞者には、「オリジナル図書カード1万円分」、優秀賞5名には「オリジナル図書カード3000円分」をプレゼントいたします。